無名の魔女の要塞と僕の話

 現在アメリカ、イギリス、日本のごく一部の企業は、国際機関と冥王星の技術援助を得て他の星の生物や深海の生命体の侵略に備えているらしい。
 友人から聞いた話だ。何で米英と来て日本なのかは訊いていないからわからない。まぁ米英も国際機関も僕が話したい話には出てこないからその辺は今のところどうでもいい。僕の話したいのはその話をしてくれた友人のことだ。
 友人は女の子である。年齢は僕の一つ上の十七歳。学校には通わず、日本のとある企業に依頼されて冥王星の科学ともオカルトとも付かない超技術を人類の物とするための研究を行っている。
 物凄く細っこくて色白で小さな鼻の辺りに細かいそばかすがあり、癖が強く真っ黒な髪は大抵短く切られていて、日がな一日ジャージにTシャツかたまにその上に白衣、みたいな服装で過ごし、パソコンか工具かビーカーフラスコの類いの何れかに触っている。
 とんでもないコミュショーなので棲んでるマンションの一室から外に出ることはほぼ皆無、僕が毎日のように通っていてやらねば出前ピザばかり取って食ってるところである(ん? そういえば料金はどうやって払っているんだろう、配達のスタッフと話すのも辛いはずだが)。
 そんな不健康な生活を送っているにも関わらず重い鉄の工具は平気で振り回す。謎めいているが、これもまた冥王星の科学のなせる技なのだろう。多分。
 友人は僕の名前を知らない。彼女は僕を「君」とだけ呼ぶ。
 僕も友人の名前を知らない。僕は彼女を「A子さん」と呼んでいる。

 僕が話したいのはA子さんの事だが、A子さんのことを僕は殆ど知らない。今のところ。
 それでもA子さんは、僕がいないと生きていけない。
 同じように、僕は、

 ……まぁいいや。A子さんは僕の友人である。
 これはそんな友人と、彼女を取り巻く者たちを観察した僕の雑記だ。

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 ことに肌寒い、秋のある日の放課後。
 A子さんの住むマンションのエントランスに着き、インターホンにA子さんの部屋の番号を打ち込み、呼出しのボタンを押す。少し待つと、やや胡乱な声がスピーカーから流れた。「んー」
「こんにちは。作業中だった?」言いながら僕はがさりとじゃがいもや人参の入ったスーパーの袋を持ち上げ、カメラに映そうとする。特に意味はない。
「そうでもない」「そう。入っていいかな」
「ちょっと待って」
「ん」
 大体いつも通りの会話の後、スピーカーの向こうで衣擦れの音が少しして、ピ、と小さく音が鳴った。「うん、あーって言って」
「あーーーーー」。
 また、ピ。そして、「……うん、君だ」とA子さんの声。「いいよ」
「はーい」と僕が答えると、丁度それに呼応するように自動ドアが開いた。
 合鍵(カードだけど)を持ってはいるのだけれど、A子さんの主張により毎回インターホンで確認する。これも大体いつも通り。僕はそのままエレベーターに乗ってA子さん宅へ向かった。

 カードを通して部屋に入ると、廊下には既に稼働中のパソコン特有のあの鉄臭いような臭いが充満していた。これは割といつも通りではない。A子さんは殆どの実験を同時進行させる癖があるので(凄く見習いたい)、大抵はパソコンの臭いだけではなく、ゴムとか油とか、或いはもっと得体のしれない臭いが混ざり合っていることが多いのだ。

 パソコンしか使っていない、というか一種類の匂いが充満している場合、思い当たる理由は一つ……。また、彼女が来ている。

 心からヘリウムが抜けるような心地がする。また何か面倒事でも持ってきていないといいけど。

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 だだっ広くて本やらコップやらでごちゃついたリビングを抜け、最奥にある研究室の扉へ向かおうとすると、キッチンから声をかけられた。
「――こんにちは、某(ナニガシ)君」
「……こんばんは」あぁ、やっぱりいた。
 カウンターに肘をつき、缶コーヒーを飲む黒い髪の猫目の女子高生。僕は男子校だから当然他校だ。身長は百六十cmくらいでやせ形、セーラー服の上から男物の茶色いコートを羽織っていて、秋とはいえそれでは完全防備じゃないかと思ってしまうが、あたしのトレードマークみたいなものだから気にしないで云々と前に言われた。
「んん、もうこんばんはの時間? そうか、もう五時近いからね……えぇと、今日もお夕飯作りに来たの?」
「はい? いつも通りですけど」僕はそう言いながら彼女にスーパーの袋を少し持ち上げて見せ、そのままテーブルの上に置く。
「本当に殆ど毎日来てるね。お疲れ様」そう言って彼女は薄い唇の端を上げ微笑んだ。とりあえず顔は綺麗だ。
「いえ……A子さんは今、中に?」
「うん、そうなんだけどね……さっきちょっと怒らせちゃってさ、ずっと中に籠ってるんだよね」
「は?」なにそれ。
 とんでもない事を聞かされた。苦笑交じり程度で。A子さんに精神的ストレスを与えた罪は海より深いぞ。
 それにしても、先ほどのインターホンの感じでは機嫌の悪い風でもなかったのけれど……いや。どの道とにかく僕の視線は胡散臭コートに刺さるようになる。
「いやそんな目で見ないでよ……某君って表情変わらないのに機嫌悪い時は解りやすいよね……」
「A子さんをもし泣かせでもしようものなら僕は本当に何をするか解りませんからね……? 只でさえ僕は貴方を全く信用してないんで」
「解ってるよ……(そう言いながらカウンターキッチンを離れてこちらに歩いてくる)。それでさ、鍵はかかってないけどちょっと入りづらいのね、で、君に会ったら機嫌直して貰えるかなって思ってるんだけど……」
 えっそうかな。僕そんなに気に入られてるだろうか。……じゃねーよ。
「……貴方のためになんでそこまでする必要があるんですか。そもそも今日は何の用事があって、」
 そこまで言うと、彼女の整って白い顔が苦笑のまま強張った。歩みもピタリと止まる。もしかするとこの時の写真を撮って後から見るとセンスのない蝋人形なんかにも見えたかもしれない。
「……ちょっと今回は、言うわけにはいかないんだけどね」
 ……まぁ、そう言われると、一般人が知るわけにもいかないんだろうなぁ。

 彼女の名前も、僕は知らない。といって、A子さんのようにあだ名を付けて呼ぶでもなく、只「貴方」だとか「あの人」だとか呼ぶことにしている。彼女は僕の名前くらい知っているだろうけれど。
 彼女はA子さんのスポンサーである企業から遣わされた、云わばお目付役のような立ち位置であるらしい。社員の誰かの親族で、年齢が同じ事から時たまやって来ては連絡がてらにしばしば話し相手になっている――と言うが、来るときに秘密で妙な頼みごとをしてはA子さんの仕事を増やしてもいるようだ。
 悪人でも無いというのはなんとなく解るのだが、真意がいまいち読めない。というかそもそもSFとも魔法ともつかないような事象に平気で関わる未成年、というか高校生ってなんなんだよ。よもや社長令嬢、それも次期社長を期待されてるとかなんじゃないだろうか。胡散臭いし。あと派手な顔つきでない割に香水がやけに強く甘ったるいのもいい印象がない。
 A子さんは確か「ナギさん」だとか呼んで(数少ない)友人だとは思っているようだが、果たして本当にいい友人なんだろうか。飼殺したりしないよなこの人。

 とにかく、その立ち位置にいる人が「言えない」と言ったなら、それはきっと一般人の僕が知るべきではないのだ。

「……まぁ、どの道声はかけなきゃいけないし、何か食べて貰わないとダメですからね……」僕はしぶしぶ研究室の白く厚い扉に向かい、手すりに手をかけて横に引いた(病室のドアをイメージして欲しい)。

「よっと……ん?」

 研究室の中は、真っ暗だった。

「……え、なんで真っ暗なの……?」いつの間にかすぐそばに来ていた茶色コートが驚愕した声で言った。
 ん、と違和感を感じる。いつもよりも香水が薄い気がする。
「さぁ……光があるとまずいような実験でもしてたんじゃないですか? おーい、A子さーん」
 僕が中に足を踏み入れ、暗い研究室に声を投げる。……返事はない。
「……あの、本当にこの中にいるんですか?」僕はどちらかというと軽い口調で隣の人間に尋ねる……が、彼女は顎に手を当てて、真剣な面持ちで研究室を見ている。
「――もしかすると、暗い部屋で足を滑らせてるんじゃないかな」
「……あっ」
 なんだ、なぜそこに気づかなかったんだ。僕は急いで電気のスイッチを点けようとする……点かない。電気が届いていないのか? と思ったが、スイッチが壊れているようだ。明らかに誰かに壊されたように凹んでいる。仕方ない、暗い中で探さないといけないようだ。研究室内もかなり広い構造になっているがしかたない。
 と、そこまで考えて、
「……なんで入ってこないんですか? 研究室は広いんだから二人で探さないと」僕は逆光に照らされた少女に声をかけた。「入ってきてくださいよ」
「……ん。そうだね」
 彼女は応え、足を踏み入れようとして、あれ、今少し笑っていた気が、

「ぐぅぅぅぅっじょぶナニガシくぅぅぅぅん!!!」

 え?

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 それからのことは凄い勢いで起きた。

 まず、暗い中から突然「茶色いコートの少女」が飛び出して来たのは見た。その次に僕が「つい先ほど話していた方の少女の首」が研究室側にごろんと落っこちた。
 え、と僕が混乱している内に、胴体の方は後から現れた茶色コートにリビング側に蹴飛ばされる、そして茶色コートは胴体に「入るな!」と怒鳴り、扉を勢いよく閉め、がちゃりと鍵をかけた。
 ばつん、と何かが光る。それは懐中電灯の明かりで、照らされたのは生首だ。長い黒髪に隠れて表情は見えなかった、見えても怖いか、そしてそれを生首と認識したと同時にバコンと音がしてその生首は何か箱状の物に閉じ込められる。更に、その上に誰かが乗っかる。混乱していて誰かはわからない。
「A子ちゃんもじーじぇい! 生け捕り成功うおお!!! 神経が頭部に集まってる今、胴体だけじゃまとも真面に動けまいぜ!」
「できた? できた? 私じーじぇい?」
 聞き覚えのある声が二人分。両方女性で、片方はそんなに聞きたくないついさっきまで聞いていた声、そしてもう片方は、それこそここまで聞きに来た甲斐がある幼い声だった。

「……何なんです、これ」
「いやーどうなることかと思った! 某君が来てくれなかったらあたしたちあのまま閉じ込められて飢え死にか特攻して失血死だったよ!」
 大きな卓上電灯の明かりに照らされる茶色コートの女子高生……汗をかいて暑いからと言ってコートは脱いでいたが、彼女の話によると、彼女の姿をしていたモノはA子さんが作った「吸血生物とスライムの融合体」だったらしい。
 A子さん曰く、「星の下僕(スターバンパイア)だけじゃあんまり頭が良くないけど、ショゴスと一緒だと自己成長できるかなって思ったの。色々呪文とか遺伝子組み換えとかして、どうにかくっ付けられたんだけど……」
「呪文ってなんだよ……えーと、スターバンパイアってなんだっけ」
「デ・ヴェルミス・ミステリイスに出てくる吸血生物なんだけどね、弱い個体は吸血鬼と同じで誰かに招待されてない場所には入れないから」
「だから研究室には入れなかったってこと? ……で、確かショゴスっていうのは姿変えられる奴だっけ」「うん」
「……ってことは、インターホンに出たのって」
「こいつの方だよ」セーラー服がクリアボックスの側面を叩く。「研究室でA子ちゃんが飼ってたけど、姿も声もやることも覚えちゃってたんだね。ちょっと薬垂らしたから今は寝てる」
「研究室だけじゃなくて何度かリビングにも出してたから君のことも知ってるよ!」A子さんちょっとそれは初耳なんだけど。
「はぁ……で、僕が来ることも知ってたから、先にこっちに入れて入るのを促そうとしたってことか」
「あたしの血が欲しかったみたいだからね」
 セーラー服が髪をかき上げつつ言う。やっぱりこっちの方が香水が強い。
「え?」
「それなりに貴重だから、この血は。そりゃそうだよ、最高神の加護を受けた眷属の血液なんだから力も倍増するさね」
「……なんです、それ」
「んん? え、聞いたことなかった?」猫目を更に丸くする。「え、え、え。じゃあオフレコにしといてくれないかな……」
「いや、聞きたくないんでいいですけど……そういえば、そいつ貴方より香水薄かったですよ。匂いを再現ってのも怖いけど、し切れないとこがあったんですかね」
「え? 香水……どんな匂い? あたしそんなきついの付けてないよ」
「え」じゃあ、この匂いって。

 猫目のセーラー服が何かを言おうとして少し口を開いた時、
「あの、ねぇちょっと」
 A子さんがそれより先に発言する。「そろそろお腹空いたんだけど」
「あそっか、そろそろ夕飯作らないとね。……って、何で僕らはまだここにいるんですか。貴方ももう帰って欲しいんですけど」
「……んんんんん。様子見をしようと思ったんだよね、実は」
「は?」様子見? 猫目少女は聞き耳を立てているようだ。
「頭部を切ったら暫く動けないと思ってたけど……甘かったかもね」

 するとその時、リビングから、


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オカルトSFみたいなものはどんどん書いていきたい
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